http://d.hatena.ne.jp/sinden/20070825/1188006429
なんか乗っかってみる。
私は、小説を読んでいても、はっきりとしたイメージを思い浮かべない(→http://d.hatena.ne.jp/kazenotori/20060706/1152115086)。「この作家は文章が下手だ」というのは、多くの場合、「この文章には文法上の間違いがある」という意味ではなく、「この文章からは鮮やかなイメージを想起できない」という意味なんじゃないかな、と思う。そういう意味では、私は文章の上手い下手をあまり気にしないだろう。「円環少女は読みにくいなぁ」「中村九郎はよくわからないなぁ」くらい。
「イラストが下手だったから脳内イメージが損なわれた!」と文句を言う人がいる。私の場合はそういうこともない。よほど酷くないかぎり、挿絵の下手さは気にならない*1。もちろん、私のイメージ能力の欠乏を補ってくれるような素晴らしい挿絵は大歓迎である。
「アニメだとイメージが固定される、小説は読者が自由に想像できるから良い」と主張する人がいる。私の場合はそういうこともない。読者の妄想などたかがしれていると思う。読者の妄想をコントロールできてこそプロの作家さんだとも思う。作家のコントロールを振り切りたいとは思わない。
で、矛盾するようだが。「読者の心に何かが残れば幸いです」というようなことを、作家さんがよく書いているけれど、私はそれを心に残したくない。「この本を読んで勇気を貰いました、私も主人公のように頑張ろうと思いました」的な感想を抱きたくない。読み終わって、「あー面白かったー」と思って、三歩進むと何が面白かったのか忘れているような、そういう読書がいいな、と思っている*2。
作者が何を伝えたがっているのか、なんてのはどうでもいい。作品から何かを読み取ろうという気もない。しかしプロの作家ならば、作品から何かを読み取ろうという気のない読者でも、何かを読み取らせてしまうだろう。あるいは、何かを読み取らなくても楽しめる作品を提供してくれるだろう。
なんだか断片的だけど、私の読書スタンスはこんな感じ。